市立御前崎総合病院で9年間、県内で唯一リウマチ科の医師として院長職を務めていらっしゃる大橋先生。先生は小学生の頃から医師になりたかったという。先生にキャリアを中心に聞いた。

研修医の頃

 昭和56年に浜松医科大学を卒業後、第三内科の免疫グループに属しました。学生の頃から免疫治療全般に興味があったからです。
 卒業後、研修医として医師の第一歩を踏みだしたのですが、当時の研修医は今と異なり、本当に戦力として働いていました。例えば、救急当直を回った時には一晩で6名の患者さんが別々に搬送 されてきて、ショック状態、心筋梗塞、吐血などの症状の患者さんを一人で診た事もありました。
 また、事実上の受け持ち患者さんが20名だった事もあります。
 卒後2,3年目で既に心臓・冠動脈カテーテル検査は300例、胃透視、胃カメラも当たり前にやっていましたし、極めつけはアンギオも経験させてくださいました。解剖も30例実施していました。
 勿論、10歳年上のオーベンの先生が近くにいてくれましたが、それでも今では考えられないですね。
 ハードでしたが楽しく実践的な研修医時代をすごさせてもらったと思います。

留学時代

 幾つかの病院で勤務し、卒後8年目から3年の間、甲状腺の研究のために米国のトロント大学に留学させてもらいました。当時の教授だったウォルフィッシュ先生に従事したのですが、本当にまじめな方で日曜日でもよく研究室に呼び出されました。学会発表でもいくつ質問をしたかを聞かれる等、密度の濃い留学期間でしたね。

大学病院

 留学を終えて、大学に戻ってからは助手、医局長、講師を経験しつつ臨床にあたりました。当時、最初に感じたのは日本の研究費の少なさでした。リウマチに関しても治験数は少なかった。
 それがだんだんと科研費が増えたりしてきて徐々に充実してきた事を覚えています。この頃に博士号もいただきました。
 医局長をお任せいただいていた頃はみんなが幸せになるようにと本当に様々な事に気を遣いながら下働きとして奔走していました。この時のエピソードなどを詳しくお聞きになりたい方は当院にお越しください。(笑)

市立御前崎総合病院について

 2006年より当院に院長として赴任しました。当時は地域医療の崩壊が叫ばれていた頃で赴任する直前までは、大変だろうなぁと思っていましたが、実際に来て見たらもっと大変でした(笑)
 いろんな科が引き上げられて、医師、看護師も含めてスタッフ全体に不安が広がっていました。
 どうやって地域医療をやっていくかを日々悩みましたね。
 働く人たちのモチベーションをどうやって上げるかにも思いを馳せましたし、あらゆる経費がかかる病院の経営も考えなければなりません。
 具体的に実践できる事は限られていましたが、まず、当時としては先駆けだった回復期リハビリ病床をつくりました。当院の看護師さんは日頃から一生懸命やってくれていましたし、リハビリのスタッフも充実していました。彼らが病院の大事な資源ですので活用しない手はないと考えたのです。
 おかげさまで、当初40床だったものが現在では60床に増えています。やはりリハビリの効果で患者さんが比較的早めにお家に帰れる様になった事は大きかったです。他にも検診センターの充実や一般病床の集中・削減などを実施しました。
 リウマチ科に関しては決して交通の便が良いとはいえませんが、私達を信頼して、富士や富士宮、浜松からも患者さんが来院されていましたので、リハビリセンターを作りました。
 センターでも診る事ができない患者さんや出産を望まれる患者さんには、医局のネットワークを使って信頼できる大学病院や聖隷浜松病院などに紹介しています。

医学生・研修医の先生へのメッセージ

 初期臨床研修中は、自分が面白いと思う、エキサイティングな研修をしてほしいですね。
 嫌な事が10あれば良い事が1つくらいはあります。それが自分の血となり肉となります。
 診療科を回っている間に、この分野は「面白いな、楽しいな」と思う科を是非見つけて欲しいです。
 そしてそこに進んだらいいと思います(笑)
 免疫・リウマチのアピールですが、当科は地味に見えますが新薬の発展が目覚しく、今は患者さんを治してゆく事ができるようになっています。全知全能をかたむけて診断し、治療してゆく。内科医・臨床医の醍醐味を感じてもらえるはずです。 初期研修では是非選択し、感じてみて下さい。

あとがき

 院長として病院経営にあたりながらも、インタビューの中では、臨床について話される時にはお顔が華やぐ、「患者さんを診る事、治す事」が本当に大好きな臨床医の姿をみる事ができました。
 「この年になっても患者さんを診させてもらえる事は本当に嬉しい」と話された先生の言葉がとても印象的でした。