浜松医科大学 内科学第三講座 免疫・リウマチ内科浜松医科大学 内科学第三講座 免疫・リウマチ内科

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Interview-04

自由な発想をもつ膠原病医療の担い手

総合病院 聖隷浜松病院
医員(取材時、医員)
山﨑賢士先生

  2年間の初期研修を経て、大学院博士課程での疫学理論の勉強と総合内科研修を経て、リウマチ・膠原病の領域にたどり着いたという山﨑先生。 専攻科を決めるまでに一切の焦りはなかったという。
 平成29年4月より聖隷浜松病院にてリウマチ膠原病内科医として歩み始めた卒後7年目の山﨑先生に話を伺いました。(2017年取材)

高校生、医学生の頃

 もともと、私は医師になりたいと強く思っていたわけではありませんでした。小学生から続けていたサッカーに明け暮れながらも勉強は好きだったので、周囲の勧めもあって医学部に進学しました。大学ではサッカー部やアカペラサークルでの活動を中心に非常に楽しい学生生活をすごせました。
-興味のあった診療科は?
 鑑別診断という点で非常に興味深いなと感じていたのは神経内科でした。また、手術もお産も扱う産婦人科や、オールラウンドな救急科などにも興味を持っていました。どちらかというと、臓器特異的な診療科ではなく、幅広く全身を診たいという気持ちが漠然とありました。

初期研修、そして大学院へ

 福島で育ち、福島県立医科大学を卒業した私は、東北とは異なる文化圏である東海地方の静岡県の静岡済生会総合病院で初期研修を受けました。初期研修では各科をローテートしていろいろな仕事を垣間見ましたが、ローテートすればするほどに自分のやりたいことがわからなくなりました。もちろん、どの科も違うはずなのですが、なぜかどの科に進んでも、結局は同じような仕事になるのではないかと考えるようになりました。
 そんななか、当時全盛だったEvidence Based Medicine(EBM)について書かれた、いろいろな本を読んでいく中で、臨床研究や疫学研究に興味がわくようになりました。そこで、疫学理論研究に強い岡山大学大学院の疫学・衛生学分野の博士課程へ進学することとしました。つまりは、臨床からいったん離れるという決断をしました。大学院では疫学理論や統計学の勉強をしながら、日本人高齢者でのObesity paradox研究をしていました。臨床からはみえてこない医学の世界はなかなか面白い経験となったと思ってます。

総合内科時代

 初期研修は、浜松医科大学の「たすき掛けプログラム」を選択しました。最初の半年を大学病院で研修し、その後の1年を市中病院、最後の半年をまた大学病院で研修するプログラムです。
 私は当初から内科志望で、大学で研究や希少疾患の治療に触れることも大切に考えていました。反面、救急などは圧倒的な症例数をもつ市中病院で経験を積んでみたかったので、このプログラムは最適に思えたのです。事実、2年間の研修を経て満足しています。
 たすき掛けでは、浜松医療センターに在籍しました。浜松の医療を支える3次救急指定病院の1つです。ここでは初めて外科系の麻酔科や脳神経外科に興味を持ちました。慢性硬膜外血腫の手術にも立ち会わせていただき貴重な経験も積めました。紹介患者さんの多い大学とは異なり、コモンディジーズが豊富で患者さんもバラエティーに富んでいます。医学生や研修医の皆さんには医局に来ていただければ、私が経験した研修の裏話などを含めて、初期研修のポイントをお話しします。

免疫リウマチ内科との出会い

 研究が一段落した段階で大学院に籍を置きつつ、岡山市立市民病院で総合内科医としての研修をスタートさせました。
-岡山で臨床をされていた頃も専門領域は決まっていなかったのですか?焦りませんでしたか?
 はい。総合内科は非常にやりがいがありましたし、内科医の基礎がまだまだ足りないと感じていましたから、専門領域を決める段階ではありませんでしたね。焦りですか? 焦りは全くありませんでしたよ。だってまだまだ若かったですから。その総合内科で師事したのが、膠原病リウマチ内科の若林宏先生でした。この先生が、膠原病診療のおもしろさを教えてくれて、最後まで気にかけて勧誘してくれたことが今の進路につながりました。卒後6年目には、子育ての関係もあって妻の実家がある富士宮市立病院の内科に異動しました。

 研修医時代を過ごした静岡県でしたが、もともと地縁はありませんでした。ただ、不思議なことに静岡との縁はたくさんありました。もちろん妻の実家が富士宮であったことはありますが、岡山大学の教授が静岡県の衛生局長時代に動かしていた静岡県の高齢者を対象にしたコホートを題材にして学位論文を書きましたし、膠原病を教えてくれた若林先生は浜松医科大学出身(ボート部)でした。なので、なんだか縁があるんだなぁと思ってましたし、静岡県に帰ってくるのも自然な流れでした。
 そして、富士宮市立病院に外勤先でリウマチ外来に来ていたのが浜松医科大学整形外科の鳥養栄治先生でした。なんと、若林先生のボート部の一学年後輩だったらしく、さらには、現在の聖隷浜松の上司である宮本俊明先生はボート部の一学年先輩だということが判明しました。なんかつながりすぎて笑ってしまいますね。
 富士宮では一般内科として勤務していたわけですが、その鳥養先生にリウマチに興味があると相談したところ、この免疫内科の小川法良先生の新築パーティにお招きいただくことになりました。そこで、小川先生や鈴木大介先生とお話しすることができ、静岡でリウマチをやっていきたいという覚悟ができました。

浜松医科大学 免疫・リウマチ内科に入局

 岡山を離れるとき、最後に若林先生が「もし、静岡でリウマチをやる気になったらこの聖隷浜松病院の宮本先生に相談してみるといい」と言っていたことを思い出しました(このときにはなぜか宮本先生がボート部の先輩であることは言ってませんでした)。そこで、小川先生に宮本先生をご紹介していただき、聖隷浜松にたどり着きました。
 さて、小川先生と出会い、お話を伺うなかで入局については正直、躊躇しました。特に理由があったわけではないのですが、縛られるイメージがあったのかもしれません。(実際はそんなことはなかったのですが)。しかし、リウマチ・膠原病領域を専門とするなかで、やはり大きなことを成し遂げるには入局は必要と考え、お世話になることに致しました。
-大きなこととは?
 リウマチ・膠原病の医療は静岡県全域に広がっているとはいいがたいです。難病という要素もあり、医師の偏在も見られます。この領域を専攻したからには静岡県全域にリウマチ・膠原病への医療を広げていきたいという気持ちが芽生えました。であれば、入局して臨床と研究を行うことが最善の策と考えたのです。浜松医科大学第三内科には静岡県リウマチネットワークという全県規模の団体本部もあります。また、リウマチ・膠原病の疫学研究で、静岡県から世界へ発信を続けていこうとも思っております。

医学生・研修医の先生へのメッセージ

 私は免疫リウマチ内科を選ぶまで、初期研修・大学院での疫学研究・総合内科研修と時間がかかりました。たくさん寄り道をしましたが、その時々で素敵な出会いがあってここにたどり着きました。
偶然とはなかなかいいものです。この文章を読んで下さったのもなにかのご縁かもしれません。静岡県のリウマチ医療を一緒に創っていきませんか?

あとがき

 大学在籍中にアカペラサークルで活動する中、ピアノを習い始めたという山﨑先生。「大学生からでは習得は大変だったでしょう」とお聞きしたところ、「当時は20歳くらいでしたから、残りの人生でピアノを楽しめる時間の方が遥かに長いでしょう?」と答えてくださいました。
 初期研修中に専攻科目を決められず少し焦りを感じている先生は、おおらかで人間味あふれる年齢も近い山﨑先生のお話は参考になるはずです。
 ぜひ、浜松医科大学第三内科、リウマチ免疫内科の小川先生までご連絡ください。新しい出会いが待っているかもしれません。